篠原ともえ シノラーから清楚な篠原へ 清楚さを売り出す!
奇抜なファッションとハイテンションなキャラクター性を打ち出し、1990年代後半に“シノラー”ブームを巻き起こした篠原ともえ。35歳となった現在は、カラフルだった“シノラー”から一転、清楚な雰囲気を身にまとい、衣装デザイナー、女優、声優とマルチな才能を発揮中だ。
■変わっていく篠原を楽しんでくれる人がいる
かつての篠原を知っている人にとっては、現在の“清楚”にイメチェンしたキャラクターに意外性を感じたかもしれない。篠原自身も「今までは『明るくない篠原なんて、誰も受け入れてくれないのでは?』という不安があった」と、振り返る。それでも「歳を重ねるにつれ、変化してゆく“篠原ともえ”を楽しんでくださる方がいるという事がわかり、皆さんの求めに導かれるように、色々な“しのはら”を出していきたいと思った」と、“かつての篠原ともえ”から、“新しい篠原ともえ”を自ら創造している。
■もう1つの夢 デザイナーを本格的に目指す
幼少期から“歌って踊れるデザイナー”を目指していただけに、デザイン系の専門学校にも通い、本格的に勉強に励んだ。「その時期はデザインの勉強だけじゃなく、映画館や美術館巡り、あとは舞台を観に行ったり。一週間の休みをいただいて語学留学もしました。色彩検定の受講や色についても学び、ゆっくりと着実にスキルを上げる修業をして、将来の夢に向けての下準備をしていました」と、積極的に行動していた。
その修業が大きく実を結んだのが2013年。篠原は、松任谷由実のコンサート衣装のデザイン担当として白羽の矢が立つ。「打ち合わせの時に『あの映画のこういうシーンのような感じ』と言われたときに、それがすべて理解できて、そこからアイディアを発展させる対応ができたんです。もし知識の栄養をチャージする時間を持っていなかったら、質問だらけで話にさえついていけなかったと思います」と、あえて時間をかけて学んだことによる成果を実感する。
内面的には“シノラー”時代同様の賑やかさ
現在は外見面での清楚な雰囲気と合わせて、文化的な知識も身につけ“新しい篠原ともえ”として再ブレイク中だが、かつての“シノラー”を完全に卒業したわけではない。「若い頃の自分と比べると、ギャップがあるように見られるかもしれないですね。でもトーンは変わったとしても、彩として賑やかな気持ちはいつまでも持ち続けていきたい」と、気持ちの面ではお茶の間のイメージどおりの『賑やかさ』を維持したままだ。来年には芸能生活20周年を迎えるが「シノラーを好きでよかったと思っていただけるように、夢を叶える姿を伝えたいし、来年迎える芸能生活20周年の際にはこれまでの衣装や作品を展示する“シノフェス”を開催したいです」と、今後はタレント業と並行しながら、作り手としても自らの名前を刻んでいく。さらに内閣官房知的財産戦略・CJムーブメント推進会議メンバーにも推薦されるなど、清楚さ、文化的バックグラウンド、そして本来の華やかさを持ち合わせたことで、活躍の場は広がるばかりだ。
(取材・文/石井隼人)
今後の活躍にも期待!!
■変わっていく篠原を楽しんでくれる人がいる
かつての篠原を知っている人にとっては、現在の“清楚”にイメチェンしたキャラクターに意外性を感じたかもしれない。篠原自身も「今までは『明るくない篠原なんて、誰も受け入れてくれないのでは?』という不安があった」と、振り返る。それでも「歳を重ねるにつれ、変化してゆく“篠原ともえ”を楽しんでくださる方がいるという事がわかり、皆さんの求めに導かれるように、色々な“しのはら”を出していきたいと思った」と、“かつての篠原ともえ”から、“新しい篠原ともえ”を自ら創造している。
■もう1つの夢 デザイナーを本格的に目指す
幼少期から“歌って踊れるデザイナー”を目指していただけに、デザイン系の専門学校にも通い、本格的に勉強に励んだ。「その時期はデザインの勉強だけじゃなく、映画館や美術館巡り、あとは舞台を観に行ったり。一週間の休みをいただいて語学留学もしました。色彩検定の受講や色についても学び、ゆっくりと着実にスキルを上げる修業をして、将来の夢に向けての下準備をしていました」と、積極的に行動していた。
その修業が大きく実を結んだのが2013年。篠原は、松任谷由実のコンサート衣装のデザイン担当として白羽の矢が立つ。「打ち合わせの時に『あの映画のこういうシーンのような感じ』と言われたときに、それがすべて理解できて、そこからアイディアを発展させる対応ができたんです。もし知識の栄養をチャージする時間を持っていなかったら、質問だらけで話にさえついていけなかったと思います」と、あえて時間をかけて学んだことによる成果を実感する。
内面的には“シノラー”時代同様の賑やかさ
現在は外見面での清楚な雰囲気と合わせて、文化的な知識も身につけ“新しい篠原ともえ”として再ブレイク中だが、かつての“シノラー”を完全に卒業したわけではない。「若い頃の自分と比べると、ギャップがあるように見られるかもしれないですね。でもトーンは変わったとしても、彩として賑やかな気持ちはいつまでも持ち続けていきたい」と、気持ちの面ではお茶の間のイメージどおりの『賑やかさ』を維持したままだ。来年には芸能生活20周年を迎えるが「シノラーを好きでよかったと思っていただけるように、夢を叶える姿を伝えたいし、来年迎える芸能生活20周年の際にはこれまでの衣装や作品を展示する“シノフェス”を開催したいです」と、今後はタレント業と並行しながら、作り手としても自らの名前を刻んでいく。さらに内閣官房知的財産戦略・CJムーブメント推進会議メンバーにも推薦されるなど、清楚さ、文化的バックグラウンド、そして本来の華やかさを持ち合わせたことで、活躍の場は広がるばかりだ。
(取材・文/石井隼人)
今後の活躍にも期待!!
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